不登校引きこもり
私は、小学校6年生から中学校3年生まで不登校引きこもりでした。
友達関係やいじめなど、何か大きなきっかけがあって不登校になったわけではないです。
学校を休む前日に親に言われた言葉が引っかかって、今となってはその言葉も全然覚えてないんですが、多分学校のことではなかったような気がします。
それを言われた時に、気持ちを整理できなくて、こんな気持ちじゃ「明日行けない。」と最初は本当に小さなきっかけだったと思います。
そう思うまでは、明日の準備をしなきゃと、普段通りのことをしていました。
最初は2~3日ずる休みをすれば、また行こうと思えるだろうなあと軽い気持ちだったと思います。
だけど、日に日に行きたくない気持ちが強くなって、
気づいた時には1か月休んでいました。
不登校になってから2回くらいは、5時間目だけとか、6時間目だけとか登校してみたことはあります。
気持ちを無理やり奮い立たせて緊張でドキドキしながら行きました。
その時の自分は、行ったら行ったで何か気持ちが変わるかもしれないと思ったから行ったと思うんです。
その時の家族も「もう行けるかも。」って思っていたみたいだけど、
私は「もう行けない、限界。」という気持ちしか起こらなかったです。
不登校になってから、先生方は足繁く私の家を訪ねてくれました。
あの時は人に会いたくないばっかりだったから、先生が来ることが正直、本当に嫌だった。
(今から思うと、仕事終わりや仕事の合間に来てくれていたことを思うと本当にありがたいし、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。)
夕方くらいになると、もしかしたら先生くるかな...と
電話や家のチャイムがなるとドキドキ、それがちょっとした恐怖心のようになっていました。
自分の家の前に止まる車が気になって、「誰だろう、誰だろう」とそわそわしてました。
一度、先生が来てくれた時に、会うことに気持ちがついていかなくて、どうしようもないくらい耐えきれなくなって、裏の窓から脱走したこともありました...
どうしてそんな気持ちや行動になっていたんだろうと今から思うと、
みんなが普通にできていること(学校に行くこと)が出来ていないという劣等感と、こんな自分が嫌で恥ずかしいという気持ちだったと思います。
不登校になって数か月経った頃に、市の引きこもり支援センターの人も数回来てくれることがありました。
支援センターの人とも直接お話できて、その時「あぁ、お話ししやすい」、もしかしたら私、行けるかもしれない、小学校よりこっちの方がとも思ったけど、結局新しい環境に飛び込む勇気がなくて、一度も行けなかったです。
そのあと1日も登校することが出来ず、
小学校の卒業式にも出席できなかったです。
中学校に入学して数か月経ってから、先生に勧められて週に1回の保健室登校をするようになりました。(2週間に1回の時もあったり、不定期でしたが..)
滞在時間は徐々に徐々に伸びて、最終的には約2時間居れるようになりました。
最初は保健室登校だったのですが、小休憩の時にいろんな人が来ていたので、途中からカウンセリングを受ける個室にいたほうが良いと養護の先生に配慮していただいて、そこにいるようになりました。
学校にいる間は、
養護の先生と一緒に手芸をしたり、担任の先生や他の教科の先生と国語、数学、英語の勉強を少ししたり。
国語は中間、期末とみんなと同じテストを受けていたので、国語は同級生とほぼ同じような流れで勉強をしていました。
英語は、中1の英語を中学校3年間で勉強しました。
数学は中1、中2の数学を中学校3年間で勉強していました。
学校にいる時間だけで勉強できたわけではなくて、宿題や課題をもらっていたので(多くはないですが、、)それを学校に行かない日はやったり、
数学の教科書に載っている問題をノートに書いて解いたり、学校から貰う問題集をしてみたり、
理科は、生物や花の部位の名前や図をノートに書き写したり、他の分野も教科書に載っている図や用語をノートに書いて覚えるということをしていました。
社会は、歴史や公民は教科書をひたすら読んで用語などはノートに書いたり、地理も同じように教科書の内容、地図や用語を自分なりにまとめてノートに書いてみたり。
あとは、家族に買ってもらった数学の教材を勉強したり、前に父から貰った本屋に売っている歴史の参考書を読んでみたり、、
そんな感じでした。
3年間全部の勉強をすることはできていません。
今となっては、どこまでやったっていうのも全然覚えてないんですが、小学校6年から中学校3年の勉強の総量のうち 3割ぐらいだと思います。
でもこうして勉強したことが高校に入ってから「あの時やってて良かった。」と思えました。
学校行事では、体育祭と文化祭はそばで見学できました。
3年生の時の体育祭には、午前から昼過ぎまで救護のテントで見学することができました。
2つ下に妹がいて体育祭に参加していたので、昼ごはんは家族でお弁当を食べれました。最初から最後までドキドキでしたが、中学校に入ってから初めて長時間居れたと思います。
文化祭は、合唱コンクールを何十分か、保護者席で見学してました。
この保護者席から見学って変な緊張感というか、ドキドキ感というか、なんか落ち着いて見てられなくて…(ほかの親御さんたちに、この子なんで?)って思われるんじゃないかと思うとそわそわして。
なので、あんまり覚えてないです。
1年生の時から始めた週1回登校の積み重ねで、階段を1段1段上るように少しずつ出来ることが増えたような気がします。3年間を通して、本当に徐々にですが。
あと、中学校の思い出の中で一番勇気を出したことは、
修学旅行に行ったこと。
最初は行かないどころか絶対行けないと思ってました。
これは、担任の先生から何度もお誘いがあって後押しされて実現しました。
それがなければ参加してなかったと思います。
緊張でご飯が全然食べられなくて、2泊3日で2~3kg痩せて帰ってきたことは今では良い思い出です…(笑)
修学旅行のスケジュールは、みんなと全部同じように行動出来なかったです。
ここは少し休んだら?と養護の先生とバスで2人だけで休む時間があったり、
都内を巡る班別行動があったのですが、これにも参加せずホテルで休んでいたりしました。
修学旅行でびっくりしたことは、同級生だったんですよね。
女の子も男の子もガラッと変わってて。
「みんな大人っぽいなぁ。こういうのがみんなの中で流行ってるんだ~。」
周りにいる同級生がおしゃれに見えて私一人地味というか…雰囲気違うなぁと思ってました。
男の子も声変わりしてて、私の知っている同級生は過去の人になってしまったような感覚で。
なんか浦島太郎じゃないけど、
ほんの少しと思っていた時間が、本当は何百年も経っていた…みたいに、
私にとっては12歳から15歳まで3年という短い時間の感覚だったけど、本当は長い月日が経っているような気がしたというか、
そのみんなの変わりようにびっくりしました。
修学旅行の思い出は、緊張してたのもあってあんまり覚えていないのですが、
これは観て良かった。
こんな世界があるんだ。と感動したことがあって。
それは、劇団四季のサウンドオブミュージックを観に行ったんですが、俳優さんたちの演技と、体に響くような声量と音響、引き込まれるような音楽のリズムに感動して。
まるで絵本の中にいるような感覚がすごく楽しかった(^-^)
舞台のセットが変わっていくのに、「うわぁぁ~すごい~」と初めから終わりまで感動尽くしでした。
暗い中だったので、周りの目を気にすることもなく修学旅行の中で唯一ゆったりとした気持ちで居れた時間だったと思います。
実際に見て肌で感じて、みんなで一緒に体験できた時間は貴重だったと思います。
中学校最後は卒業式にも出席することができました。
卒業式の中で校歌斉唱ってあるじゃないですか。
私、中学校の校歌を歌ったことが一度もなくて。
在校生の方を向いて歌うってことになっていたんですが、歌詞を知らないからそれっぽく口パクするしかなくて…
何度か在校生と目が合って、「あ、バレたかな…。」って思いながら無事乗り切ることが出来ました(笑)
最後は自分のクラスのホームルームに参加することが出来て、
初めて自分の席に座って、それだけで緊張緊張でした。
最後にみんなに一言いうのがあって、自分の番が回ってきたときに緊張でいっぱいいっぱいになって、、
「みんなに迷惑かけて…」という言葉しか出てこなかったんです。
そういう言葉は、最後に暗い雰囲気になってしまうって一瞬頭をよぎったけど、咄嗟にでた言葉がそれで、自分でも少しビックリしました。
そういう気持ちは本当にあったのですが、本当は感謝の気持ちが言いたかった。。
みんなの前で言った後、緊張でいっぱいいっぱいになっていた糸がぷつりと切れたように、それを言う時に涙が止まらなくなって、
そこからの記憶はあんまり思い出せません…
最後に、今までお世話になった先生方と同級生に会ってお別れができたことは良かったです。
数学を教えてもらっていた先生から、最後に「終わりよければすべてよし。」という言葉をいただいて、今まで自分に対して出来ていないという気持ちばかりで、劣等感が強かったのですが、その言葉を聞いた時に私は良かったのかもしれない。と心が少し軽くなったような気がして、その言葉は今まで印象深く覚えています。
担任の先生からは、私が最後みんなの前で「迷惑かけて…」と言ったので、そんな風には思わないでほしい。と言葉をかけてくださって、本当に最後まで気を遣ってくださって、正直、申し訳ない気持ちでした。
いろんな方に支えられて、小学校6年から中学校3年までの義務教育を終えることができました。